2009年04月11日
お吉さんと。2。
おはようございます、ソナタです
「おちてなお、色をとどめる紅椿。」
宝福寺で、会員さんが買ってわたしの携帯に付けてくれた、
お吉さんの写真入りのストラップ。

裏に紅椿二つと、この唄が。
誰が書いたのでしょうか。
私は、お吉さんはハリスを介して日本を知り、世界を知ったんだと思います。
ちっぽけな下田や日本人を、もはや本気で相手にしていなかったかもしれない。
美しい芸子時代も過ぎ、晩年酒浸りの毎日。
むしろをかぶって、下田の町を歩くたび、「7人の乞食」と指差される自分になってもなお、
お金や権力に媚びない、怖い物もないお吉さんの自我。
「おちてなお色をとどめる」の色とは、
椿は椿、お吉はお吉、唐人と言われようと、石投げ付けられようと、
自分をしっかりもった正直な生き方をした、おきちさんを唄った唄なんだと思います。
椿の色の深さ甘さ、潔さを今更の様に考えさせられるのです。
お吉さんが椿なら、今世の私はどんな花を、この世に咲かせる事が出来るのだろうか。
またどのように散ることが出来るのだろうか。
皆さん一人一人が考えましょう。
少なくとも、お吉さんの墓前で三味線を弾かせていただいた方々だけでも。
奏鳴曲 会主。

「おちてなお、色をとどめる紅椿。」
宝福寺で、会員さんが買ってわたしの携帯に付けてくれた、
お吉さんの写真入りのストラップ。
裏に紅椿二つと、この唄が。
誰が書いたのでしょうか。
私は、お吉さんはハリスを介して日本を知り、世界を知ったんだと思います。
ちっぽけな下田や日本人を、もはや本気で相手にしていなかったかもしれない。
美しい芸子時代も過ぎ、晩年酒浸りの毎日。
むしろをかぶって、下田の町を歩くたび、「7人の乞食」と指差される自分になってもなお、
お金や権力に媚びない、怖い物もないお吉さんの自我。
「おちてなお色をとどめる」の色とは、
椿は椿、お吉はお吉、唐人と言われようと、石投げ付けられようと、
自分をしっかりもった正直な生き方をした、おきちさんを唄った唄なんだと思います。
椿の色の深さ甘さ、潔さを今更の様に考えさせられるのです。
お吉さんが椿なら、今世の私はどんな花を、この世に咲かせる事が出来るのだろうか。
またどのように散ることが出来るのだろうか。
皆さん一人一人が考えましょう。
少なくとも、お吉さんの墓前で三味線を弾かせていただいた方々だけでも。
奏鳴曲 会主。
Posted by ソナタ at 10:27│Comments(0)
│会主独白。